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2006年10月26日 (木)

★☆「子ども学」とわたし☆★

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 「子ども学」という発想を私が持ったのは古い。小嶋謙四郎先生、宮沢康人先生、原ひろ子先生と一緒に『新しい子ども学』、Ⅰ.「育つ」、Ⅱ.「育てる」、Ⅲ.「子どもとは」の三部立てで、1979年海鳴社から出版したことは、ある意味で公的な第一歩と言えよう。

 “新しい”とつけたのは、すでに「子ども学」という考えがあったという意見があったからである。もっとも、イギリスの小児科医Jolly教授の“Children’s Growth and Development”を、「ジョリー博士の子ども学」として、1980年に三笠書房から私が出版していたこともあったので、「子ども学」という発想は1970年後半には、私の脳の中ではすでに動き始めていたと言えよう。

考えてみれば東大小児科の教授になって1年後の1971年、文部省の命により、世界の医学教育を視察した時、世界各地でいろいろな出来事を見て、時代が動いていると感じ、パラダイムの転換が必要であると実感したことが、そもそものはじまりであった。それこそ、自他分離から共生・共創へ、縦割りから横割りにと、要素還元論から総合統合論への転換である。

1992年ノルウェーのベルゲンで、政府主催の“Children at Risk”という国際会議が開かれ、“Child Ecology”というタイトルで、私の考えを発表する機会があった。その時、“Norwegian Center for Child Research”という統合的な研究をする国立の子ども問題の研究所があった。それは、「国立子ども学研究所」と呼ぶのにふさわしいものであった。

このベルゲンの国際会議でのやり取りによって、私の心の中の「子ども学」はより確かなものになり、1996年に国立小児病院を退官した後、「子ども学」という考えを普及し、実践もしたいと考え始めた。そして、「子ども学」を英語で“Child Science”と呼ぶことにした。いわゆる“Human Science”の子ども版とも位置付けたのである。さらに、当時12年に及び勤めた国際小児科学会(IPA)を辞めて間もなかったので、国連大学にそのような研究所をつくりたいと考え、青山に出来たばかりの建物で、学長にお会いしてお願いもしたが、基金がなければ駄目だと言うことになり、消えてしまった。

国立小児病院がナショナルセンター化(現在:国立成育医療センター)される前だったので、その準備のために退官が延び、「子ども学」の実践をはじめたのは1996年になってのことであった。甲南女子大学で、「子ども学」の講義をはじめ、国際子ども学センターをつくり、現在は、その名誉所長の称号をいただいている。

もっとも、1993年くらいから季刊「子ども学」が福武書店から出版され、1996年の退官後には、皆さんがご覧になっているチャイルド・リサーチ・ネットというインターネット上のサイバー子ども学研究所を設立させていただいた。子どもに関係している世界の研究者・実践者をインターネットでつなごうという考えに対して、当時の福武書店(現ベネッセコーポレーション)の支援を受けて作ったものである。現在、日本語版ばかりでなく、英語版、中国版がオープンし、それぞれのアクセス数は月に70万、10万、1万ほどである。

 チャイルド・リサーチ・ネットでは2002年に「子ども学勉強会」を発足させたが、そのような中で「日本子ども学会」を設立する決意を固めた。2005年は、第2回の学術集会「子ども学会議」を「多文化社会と子ども達」というテーマで開催した。

 「子ども学」は、学際的・環学的・統合的に子どもを捉える人間科学の体系のひとつで文理融合科学である。子ども観・子どもの権利などの論理的・哲学的な捉え方の研究はもちろんのこと、子どもに関わるハードばかりでなくソフトを、子どものことを考えてデザインをする“Child caring design”の研究がある。例えば、ハードとして、校舎・都市・教材など、ソフトとして、教育カリキュラム・少子化対策・少年法などがあげられよう。さらに、第3の柱として、子ども問題の要因分析、問題解決の確立などの研究が大きなテーマになろう。

 「子ども学」は、人間に関わる科学の流れの中でどう育ったものであることはご理解いただけたと思う。将来いつか親になる人ならば誰でも、特に女性は一般の高等教育の教養課程として勉強していただきたいし、さらに育児・保育・教育に関する専門職を目指す学生にとっても重要な基礎教科と考えられる。子どもに関係するハードをデザインする工学系の人も、是非「子ども学」を学んでいただきたい。六本木の回転ドアの出来事も、製作者に「子ども学」の基礎知識があったならば予防出来たと思う。

私の調べた範囲内ではあるが、私が直接関係した、神戸の甲南女子大学に国際子ども学センターが設立された1992年以降、2005年4月までに、「子ども学」という名称を付けた学科などが12件に及び、来年度春に開設するところもあるという。私が考えている以上に「子ども学」という考えが普及したことは大変喜ばしい。時代の流れとでも言えよう。皆さんと共に、子ども達の幸せの基盤作りをしましょう。

<出典元URL>

http://www.crn.or.jp/OFFICE/MESSAGE/BACKNO.HTM

*今月の所長メッセージ(2005年9月9日掲載より)

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2006年10月12日 (木)

★☆イギリスの“Child Studies”とノルウェイの“Child Research” 「子ども学」“Child Science” こそがその理念基盤☆★

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この20年ほどイギリスの小児科学会の名誉会員として、学会関係の活動に関する資料を毎月戴いている。この数年、“Child Studies”という言葉が目に付くようになった。イギリスのKing’s Collegeでは、“Child Studies”で修士号が与えられると言う。このKing’s CollegeのChild Studies Programでは、幅広い多様な小児期の問題“childhood issues”を、現在の政策や社会対応などの中で、医学、看護・助産学、法学、社会科学、心理学、公共政策科学などの学術体系の立場で理解し、特別な問題についてはそれぞれの異なった学問や教育体系の中で育てられた専門職が持っている将来の見通しや考え方をお互いに理解し共有することを目的としている。これこそ私達の考えている「子ども学」“Child Science”が基盤理念になっていると思うのである。

1992年にノルウェイのベルゲンで開かれた“children at risk”「危機にある子ども達」というテーマの国際会議に招かれて、社会文化も含めた“Child Ecology”「子ども生態学」というタイトルで特別講演を行った。その際にNorwegian Center of Child Researchという存在を知った。“Research”は研究・調査の意であるが、その基盤理念が「子ども学」であると思った。

イギリスの“Child Studies”も、ノルウェイの“Child Research”も、その基盤には、私の考える“Child Science”が共通理念としてあると思う。日本語にする時は、全て「子ども学」にするようにしている。5年程前まで、「子ども学」を講義していた神戸の甲南女子大学に、「国際子ども学センター」をつくったが、英名は“International Center for Child Studies”にした。中国語での「子ども学」の呼び名はいろいろ考えた結果、「児童科学」に落ち着いた。もっと「くだけた」ものにしたかったが、それぞれの文化によって語感が異なるので、仕方がなかったように思う。「国際乳児行動発達学会」は、今年京都で「国際赤ちゃん学会」として開催される。「赤ちゃん学」、「子ども学」という言葉は特定の学問の匂いもなく、皆が平等に参加出来ると思うのである。

Child Science”、“Child Research”、そして “Child Studies”の発想は、CRNをご覧になられている方々ならすぐに理解されよう。現在の子ども問題は、従来の学問体系では解決出来ないと考え、関係する学問を学際的あるいは環学的に統合・包括しようというのである。関係する学問を医療関係から考えてみるならば、小児科学、小児保健学からはじまって、その他の関連する学問では、発達心理学、小児行動学、小児社会学などといろいろ出てくる。子どもに関係する学問(科学)なら、自然科学であろうと人文科学であろうと、皆一緒に合わせて考えればよいのである。私達が初めて書いた「子ども学」の本も、心理学・文化人類学・教育学・小児保健学・小児科学を柱にした。

「子ども学」は集学的、学際的、環学的な文理融合科学と言える。「子ども学」という発想を、なぜ私が持ったかというと、1971年文部省の命により、世界の医学教育の視察をしたことに始まる。そこで学んだことは、従来の基礎医学が、解剖学・生理学・生化学などの専門分科学術体系ではなく、それを人間という視点、患者あるいは病気という視点でまとめられて、「人間生物学」「人間科学」として教えられていることであった。要素還元主義を取り込み乗越えて、統合的・包括的に教えられるのである。それを見て、正に目が開かれる思いであった。「子ども学」は、子どもの「人間科学」と言える。

こういった新しい科学の流れを、その後もいろいろな機会に学び、子ども問題の解決にも、それが必要と考えた。小児医療の現場を見れば、感染症や栄養障害などの生物学的な病気(bio-morbidities)より、肥満や不登校など、多様な要因が関係する心身の複合病態による病気(co- morbidities)の方が、現代では深刻なのである。小児科学も、その問題解決に必要なものが、“Child Studies”であり“Child Research”であり、その基盤理念として“Child Science”であると思うのである。

 “Child Science”が、われわれによって取り上げられ、「日本子ども学会」“Japanese Society of Child Science”が数年前より走り始めていることは、極めて意義高いものと考え、今後の展開に期待していきたい。

<出典元URL>

http://www.crn.or.jp/OFFICE/MESSAGE/BACKNO.HTM

*今月の所長メッセージ(2006年4月14日掲載より)

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2006年10月 5日 (木)

★☆「食育」のチャイルド ケアリング デザインを皆で考えよう☆★

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現在の日本の食生活は豊かであるにも関わらず、子ども達の食生活が大きく乱れている。私の子ども時代、昭和一桁の頃の食生活は貧しいものであって、何時も空腹という感じでしかなかったが、食べるものは全て「おふくろの味」で、楽しいものであった。

現在、デパートの地下食品売り場に並んでいるような、有名レストランや料亭の料理などは、当時は全く想像も出来なかった。家庭外で料理されて、購入できる食品といえば、肉屋さんの「トンカツ」「コロッケ」くらいで、それも「ハレ」の機会だけあった。思い出すのは、小学生の時の運動会の「かけっこ」で、初めて三等賞をとった時、お祝いの夕食に「トンカツ」と「上コロッケ」(挽肉の多い)を買って来ることになり、肉屋さんの店頭で腹を空かせながら出来上がるのを待っていた時の、油で揚げる匂いである。

「おふくろの味」と言えば、まず「じゃが芋のバター炒め」が思い浮かぶ。「じゃが芋」が好きだったからであると思うが、母親がよく作ってくれた。当時、バターは贅沢な物のひとつで、母親が栄養を考えて、油に少し加えたものであったと思うが、風味は格別なものになった。弁当というと「鮭」が思い出される。母親は、弁当箱にご飯を山盛りにし、その上に焼いた鮭の一切れを乗せ、蓋でギューっと閉める。やがて昼が来て、蓋を開けた時プーンと漂う鮭のあの匂い、そして塩味と鮭の味が滲み込んだご飯の味が懐かしい。特に冬には、教室にストーブが入り、その周りに生徒各人の弁当が置かれ、昼には暖かくなっていた。暖かい弁当は、味も匂いも、また格別であった。

今になって「食育」という立場から考えてみると、そのような貧しい食生活の中でも、常に母親の姿があったことは、それなりに大きな意義を持っていたのではなかろうか。また、家庭の食事と言えば、小さなちゃぶ台を家族一同が囲んで座り、一緒に食事をするのが一般的であった。「孤食」はなかった。食事の始めには、必ずお米や野菜を作ったお百姓さんに、また、料理された生き物の命に感謝する気持ちを「いただきます」と言って表すように教えられた。私の父は熱心な仏教徒だったので、食事の前には仏壇に必ず手を合わせていた姿も思い出す。そこには宗教教育もあったのである。当時の「食育」は家庭で、親によって行われていたのである。

子ども達の食の乱れを直そうという先進的な運動によって、昨年6月に「食育基本法」が成立した。多くの人々がそれによって子ども達の食生活や食習慣の立て直しを始めている。しかし、どのようにするのが良いかとなると、答えはなかなか難しいのではなかろうか。「食育」を昔の価値観で考える事が無理なことは、どなたでも理解されよう。「子ども学」“Child Science”の発想で、「食育」を「チャイルド ケアリング デザイン」しなければならないのである。子どもの「食」に関心を持つ、研究者・実践者が一堂に会して話し合い、学際的・環学的・包括的な立場から問題を分析し、より良い道を探って、子ども達の立場を考えたデザインをしなければならないと思うのである。

一体全体、「食」をめぐる子ども達の現在の問題は何であろうか。小児科医としては、望ましくない食習慣による肥満の問題がまず気になる。それによる糖尿病の若年化、また予備軍の増加である。さらに、思春期の女子に多い、拒食症による痩せも気になる。また、欠食や偏食、そのような状態を起こす家庭環境は、非行や暴力につながる可能性も否定出来ない。さらに、虐待による、食欲の失調、過食や拒食の問題も考えなければならない。子ども達が居場所を失った事により、ひとりで食べる孤食も大きな問題である。そのような子ども達の多くは、現在、食べる喜びをなくし、生きる喜びも失ってしまっているのである。

「食育」には、「分かっちゃいるけどやめられない」あるいは「出来ません」的な部分が大きいのである。子ども自身が自ら決め、納得して自分で良いことをやり抜けるよう大人が教えなければならない。「食育」の場で教えた良い行動を、どのようにして維持するか、継続させるかが重要で、その支援法も研究しなければならないのである。

幼稚園・保育園、そして学校での給食、さらには子ども達自身による料理の果たす「食育」の役割は大きい。工夫すれば多彩な教育が可能なのではなかろうか。それこそ、食事の味を教えることから始まって、食文化まで子ども達に教えることが出来ると思うのである。中学校では、適切な食事量を知るために、糖尿病の食事のエネルギー計算のやり方を教える、さらには物理学・化学・生物学・数学などとも組み合わせて「食育」をするなどが出来ると思うのである。食育の授業は、「総合的な学習」のプロトタイプのひとつと言える。

現在の親達は、食事や食事作りの知識を持っていない人が半分以上になっていると言う。親に教えて、子どもの食生活を改善する方法を取ろうとしても、おおむね不可能であろう。そういった意味で、給食や料理の役割は大きく、もっと進めるべき方法であると思う。給食の時、調理実習の時、何を教えたら良いか、そのカリキュラムを作ることが「食育」のチャイルド ケアリング デザインの柱であろう。その全ては、味覚・嗅覚・食欲から始まって咀嚼まで、食べるという人間的な営みは、どのようなメカニズムによるかを、まず基盤として始めなければならないと思うのである。

<出典元URL>

http://www.crn.or.jp/OFFICE/MESSAGE/BACKNO.HTM

*今月の所長メッセージ(2006年3月3日掲載より)

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